私が画像生成AIに出会うまでの話
この方法を思いつくまで、私は毎日、なんとも言えないモヤモヤを抱えていました。
なぜモヤモヤしていたのか?
話は少し長くなりますが、まず私自身のことを紹介させてください。
キャリアやライフスタイルを優先した先にあった“心の乾き”
深夜残業と心の消耗
私は新卒からWeb業界で働いてきました。
ですがその業界は、当時 “超激務” が当たり前の世界。
夜24時退社で終電ギリギリでも
「すみません、お先に失礼します…」
と、周囲に謝りながら帰るのがアタリマエ。
転職したところで、やりがいを求めると、激務がセットでついてきてしまい、
記念すべき30歳の誕生日の瞬間は、会社のデスクで迎えました。
心機一転、アートの世界へ足を踏み入れるも…
その後、退職し、心機一転、オーストラリアにチョークアート留学へ。
なぜ突然アートの分野に行ったかというと、私はずっとWebディレクターという職種で、
エンジニアとデザイナーの間に立って
企画、分析、進行管理などのPDCAをまわような仕事だったのですが、日々デザイナーとやりとりする中で
右脳を思いっきり使って自由にクリエイティブを表現できる“描ける側の人”に憧れていたからです。
AUSに渡った私は、チョークアートの第一人者から無我夢中で学びました。
でも結局、それを仕事にすることができませんでした。
これまで積み上げてきたキャリアをすべてリセットし、
お金をもらって描くこと。自分を売り出すこと。人に教えること。
それらのすべてに自信が持てず、ワクワクしきれず、
結局また、Web業界へ戻りました。
Web業界は激務だけれど、日々最新技術に触れることや
オンラインで何かを表現すること自体は、
とても好きだったことにも同時に気づきます。
当時は挑戦したことで未練はないと思っていたけれど、
心の中には「絵を描ける人への憧れ」が、ずっと残り続けていたんだと思います。
心の変化:うさぎのニトと出逢い
時は経ち、時代はコロナでリモートワークが普及。
ライフスタイルの変化に合わせてペットを迎え入れました。
子どもの頃からどうぶつが大好きだったことも手伝い、
気づけばチンチラとうさぎ、
あわせて6匹になるほどのもふもふ大家族に。
ペットの存在は、私の生活と心の中心になっていきました。
これまでは「仕事のやりがい」を最重視してきた私は
「フルリモート&一人で完結できる仕事」をより重視し、
輸入・輸出業へシフトし、
会社員をやめ、輸入と輸出業を1から学び、なんとか独立しました。
一見Web業界から一転ではありますが、Eコマース専門なので、これまで培ったWeb制作の知識やIT知識が役立ち、私の中では一部繋がっていた転職です。
結果、ライフスタイルは理想に近づいたし、それなりにやりがいもあるけれど、
日々の業務はリサーチ・仕入れ・利益計算、在庫管理など、
地味で事務的な作業の連続。
心はどこか乾いているのを感じていました。
何かクリエイティブなことがしたい。
仕事じゃなくて、趣味でいいから。
いま、残さなきゃ。
そして、このモヤモヤした気持ちに向き合おうと思い始めた矢先、
飼っているうさぎの中でも、最も懐いているニトが、
血液ガンという重い病気にかかりました。
今や、自分の命以上に大切だと思える存在…。
命の儚さやペットロスの恐怖に直面した私は、
「いま、残さなきゃ」と本気で思いました。
記録を残すなら、写真を撮ってインスタを上げることが直球。
そう思い、インスタを再開してみて、一定の安堵感や満足感は得られたけども、
なぜか心は、どこか乾いたまま―。
じゃあ、より自分の心と向き合えるブログに残そうと
早速Word Pressに書き殴ってみたけども、
同じく、まだ心はどこか乾いたまま―。
じゃあ…!と、手書きでニトのイラスト絵を描いてみる。
楽しいけど、自ら絵を描くことでさえ、どこか満たされない思い。
「自分が満足できるようになるまでに何年かかるんだ…?私は今、残したい。」
そんな自問にぶつかったからです。
そう、今に私が何よりもやりたいのは、
“愛してやまないニトを、私が思う「最高な形」で残していきたい。”
これが、本当にやりたいことだったんです。
そして、もうひとつ。
本物のニトを直球で記録に残せるインスタでもブログでも、どこか乾いてしまった理由。
それは、とても独りよがりな考えですが、
たとえいつか天国に行ってしまう日が来ても、
ニトの物語が、ずっとずっと続いてほしいー
以前、チンチラのインスタやブログを活発に更新していたのですが、
その子が亡くなってから、更新できていなかったんです。
だって、もうあの子はいないから…
新たな写真を撮ることはもうできないから…
更新することができない…。
※もちろん、そんな哀しみを乗り越えて、更新しつづけている方は、本当にたくさんいらっしゃいます。
私にとってはそれが、インスタやブログでも、どこか心が乾いてしまっていた理由です。
でも、”ニトの創造”であれば、私の想像力が続く限り、ずっと続けられる。
これが、私の心の底からの乾いた欲求であり、願いであり、
時間をかけてもやりたいことだ、と強く思ったのでした。
これだ!と確信した、画像生成AIとの出会い
ニトを最高の形で紡ぎ続ける―
その具体的な実現方法として、ふと私の脳裏に降ってきたのが「AI」の存在でした。
自分の下手くそな絵ではない、美しい絵で、いますぐ残していきたい。
そして、ストーリーを紡いでいきたい。
はじまりはすべて自己満足だけれども、その先の未来に、
いつか共感をしてくれる人や、
ニトを愛してくれる人が現れてくれるかもしれない。
ただ正直、AIを駆使することに、心の抵抗がなかったわけではない。
むしろ、強くありました。
自分ひとりの手では、とてもじゃないけど、時間も技術も足りない…。
だけど、AIのちからを借りて、全力を出せば、私でもできるかもしれない。
AIのことは、ほぼ何も知らなかったけれど、
多分きっと、できる。
いや、できるだろ、絶対できるー。
なぜだか、ものすごく確信めいた気持ちになり、
私がやりたいことはこれだと強く感じ、
私の“AI奮闘記”が始まりました。
それでも、AIに頼ることに抵抗がなかったわけじゃない
きっと多くの人と同じで、
「AIでつくったものには、全く価値がないんでは・・・?」
という疑問があったから。
特にAI生成画像に関しては、課題だけに目を見ると、
クリエイターからの盗用、人間から仕事を奪うのでは、など、キリがない。
でも、実際にAIの世界に入ってみると、外から見ていた世界とはまるで違かった。
AIの技術があったところで、
想像力・伝える力・ディレクション力 ・根気・努力・愛情 …
そのすべてがないと、到底、つくりきれない。
そのくらい、まだまだ発展途上な分野です。
クリエイティブは、絵がかける人、文章がかける人だけのもの?
それ以上に強く感じたことは
「クリエイティブは、絵がかける人、文章がかける人だけのもの?」
という疑問。
確かに、これまでは、そうだったかもしれない。
でも、誰もが、頭の中の想像や、心の中の深くて強い想いを、
もっと自由に気軽に、表現できるようになるのは、素晴らしいことなのでは?
アートや絵に価値を感じる人や、自分で描く努力をしてきた人ほど、
「いやいや反対だ!」と思うかもしれません。
でも、私はAIと出逢い、向き合い、
「想像力」以上にクリエイティブなものはない、と、
今は思っています。
だから、
「自分では、絵が描けない・・・」
「文章がうまくかけない」
「でも、自分の愛するものを、全力で表現したいし、残しておきたい。」
そう強く願うけどもできない人のために、私の辿った軌跡が助けになれたらいいなと思い、
ブログという形でも、全力で記録も残していこうと決めました。
ただ、日々試行錯誤しながらAIと向き合う中で、同時に手書きの大いなる価値にも気づくことになりました。
なので、亀の歩みではあるけれど、手書きの絵も、少しずつ学びながら描いていこうと思っています。
とても長くなったけれど、これが、私とAI、創造の世界との出会い。
そして、日々ニトを見ていく中での想像から、「ニトの創造」が幕を開けた瞬間です。